過去の説教

過去の説教 · 2024/02/27
マーティン・ルーサー・キングの自伝に「自由への大いなる歩み」という書物がある。黒人を差別するバスに乗ることを止めよう。キングの呼びかけによって始まったボイコット運動は次第に広まり、それによって次第にアメリカの社会が変化していくことになるのだが、その運動が実際に動き始めるまでには、幾重にも乗り越えなければならない壁が立ちはだかった。その壁の一つは、思わぬところから現れた。この運動が白人から反対されるのは火を見るよりも明らかだったが、同じ神に仕える黒人の牧師仲間の中にこの運動に賛同しない者達、白人にこびを売る者や、白人のご機嫌を損ねないように大人しくしていた方が賢明だと考える現実主義者が多くおり、それがキングの悩み苦しみであったという。  運動に賛同している多くの民衆の中にある老婆がいた。彼女はバスに乗らずに歩道を杖をつきながら歩いていた。たまたま通りがかったタクシーの黒人の運転手が彼女に声をかけた。「おばあちゃん、乗んなよ、無理して歩くことはないよ」と。その時、老婆はこのように答えた。「私は私自身の為に歩いてるんじゃないよ。私の子供や、私の孫の為に歩いているのさ」と。
過去の説教 · 2024/02/19
愛と聞いて私たちは先ず十字架を思い浮かべるでしょうか。どちらかと言うと、温かく私たちの全てを包み込むような優しさ、輝きといったイメージを思うのではないでしょうか。私たちが神さまに期待するのも、そのような愛のイメージと重なるものでありましょう。人々から理解されず、執拗な攻撃や揶揄する言葉を浴びせられ、死んで自分たちの社会から消えて欲しいと多くの人に望まれ、十字架上でまでも罵声を浴びせられた主イエスの出来事に、真っ先に愛を思い浮かべないかもしれません。その十字架によって、神さまの愛を私たちは知ることができるのだと、この手紙は言います。
過去の説教 · 2024/02/12
このペトロの手紙は、キリスト者として生きていくのが厳しい環境で暮らしている人々に向けて書かれています。 今日の箇所を聞き、受け取り手たちがそのような厳しい状況にあったということを、意外と感じるかもしれません。手紙は1、2節で、手紙の前置きとして挨拶と祈りを述べますが、それを述べ終えた途端、「私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように」と神さまを賛美し始めるからです。挨拶と祈りの後に先ずこれを伝えたい、そう願ってきた思いが溢れ出した、そのような勢いのある表現です。
過去の説教 · 2024/02/06
本日はヤコブの手紙の言葉に耳を傾けました。この手紙は離散しているキリスト者たちに宛てて書かれています。教会が力を持っている地域や国ではなく、キリスト者が全くのマイノリティーである社会、キリスト教とは異なるものによって社会や文化が成り立ってきたところで、キリスト者がどのように信仰を守って生活するのか、手紙を通して語り掛けています。その意味でこの手紙は、私たちに宛てて書かれているとも言えます。
過去の説教 · 2024/01/29
「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」(ヨハネ9:2)。 これはたまたま通りすがりにイエスと弟子たちが生まれつき目の見えない人を見かけたとき、弟子たちがイエスに尋ねた問いである。失敗やそれに付随して重大な過失が起こってしまうと、政治の世界でも経済界でも、この世ではよく「再発防止」ということが叫ばれる。そのためには原因を究明し、なぜそうなったのかを検証して、そのような事故が起こらないように未然に防ぐことが求められる。というよりも、本当に再発防止のために全力を尽くすかどうかはさておき、取り敢えず「我々は然るべき対策を講じた」という、世間に対して納得してもらえるような説明というか報告が求められ、本気で再発を防ぐことよりもまず、世間からのそう言った要求に応えることに四苦八苦しているように思う。
過去の説教 · 2024/01/22
伝道者という人々に神の言葉を伝える働きをしていますとよく周りから「あなたはどのようにして神様を信じて、神様に従って生きていこうと決心したのですか?」という質問を受けることがあります。「どのようにして神様を信じるに至ったのか」「どのようにして神様に従って生きていこうと決めたのか」このような信仰者として皆が抱える問いに思いを巡らすとき、自らの人生の歩みを振り返ると同時に、いま、ここにいる皆さん一人一人にもきっとそれぞれに固有の神様との出会い、神様を知った経験があったのではないかと思います。
過去の説教 · 2024/01/22
羊飼いや学者たちは、先がよく見えなくても、困難な道中であっても、神さまの導きに信頼し、主イエスにお会いするために前へと進み続けました。その姿に憧れを抱きます。キリスト者にとってクリスマスがひときわ心躍る時である理由は色々あると思います。羊飼いや学者たちに憧れを抱くように、神さまの言葉に信頼して歩むことへの思いを何度も新たにされる季節であることも、その理由の一つではないかと、この冬、クリスマスの出来事に改めて耳を傾けながら思いました。
過去の説教 · 2024/01/08
「忠実な者と見なしてくださった」ここには大事な教会の信仰が言い表されています。本当は忠実ではないのに、実際はそうではないにもかかわらず、そうと認められた、あり得ないことが起きている、という驚きを含んだ言い回しです。この忠実と訳されている語は、真実な、あるいは信仰深い、という意味もあります。信仰深い真実なるものと見なされた、本当はそうではないのに、と。ここで手紙は、信仰深さや主への真実、忠実さは主イエスキリストによって認められるものであることをはっきり語っています。自分で信仰が薄いかどうか、篤いかどうか、誰かの信仰が浅いのか深いのか、本当のところ判断はできない。ややもすると信仰というと、どうも自分の内がわから湧き出てくる力のように考えがちなので、それを自分の勝手な物差しで測れると思ってしまうのですが、それが思い込みや勘違いとどう違うのか分からなくなるかもしれない危うさにもつながってゆく。聖書では、信仰はむしろ与えられるもの、主導権はキリストにある、と考えられてきました。神によって義とされる、正しいと認められ、主イエスが忠実なる者よとおっしゃるのならば、そうなのです。
過去の説教 · 2024/01/01
アドヴェントからクリスマスまで、ルカによる福音書からクリスマスの出来事を聞いてきました。今日は、クリスマスの出来事を物語っているもう一つの福音書、マタイによる福音書に耳を傾けます。
過去の説教 · 2023/12/27
10月7日から始まったイスラエルとハマスとの戦闘によって、ガザ地区の犠牲者が遂に二万人を超えた。その内の四割を占める約八千人が罪なき子供の犠牲者だという。先日のネットニュースで、ユニセフの報道官の一人が「子供たち100万人が人道上の悪夢に直面しているのに、権力者たちが手をこまねいていることに私は激怒する」と語ったと報じられた。その報道官は、イスラエル側の爆撃によって負傷し手足を切断せざるを得なかった子供たちが病院で殺害された事実にも触れ、こみあげる怒りを抑えきれず、今もなお身を隠そうとしている子供たちが攻撃を受けて更に手足を切断されることになるだろう、と嘆いていた。そして、クリスマスには世界は自分の身の回りの愛や善意ばかりに気を取られて偽善が横行する一方で、ガザの子どもたち8千人の死が単なる数字としか扱われない現実を悔やみながら彼は、すべきことがある筈なのにそれが出来ていない自分自身にも激怒していた。

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