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ソロモンの祈り

「ソロモンの祈り」列王上82230、マルコ111519

2026118日(左近深恵子)

 

 ソロモンの祈りの一部を、お聞きしました。神殿を神さまに捧げる奉献式での祈りです。教会で言うならば、新しい会堂を献堂する礼拝で捧げられる祈りです。ソロモンはこの式を、イスラエルの長老、部族長、家長のすべて、そしてイスラエルの全ての人々と共に捧げています。教会で言えば、その教会の長老や他の教会員や牧師たち、その教会に関わりのある人々が皆集まって、教会を代表して祈る一人の人の祈りに、心を合わせている場です。聖書からこの箇所に聞く者も、エルサレムの神殿に集まった大勢の会衆と共に、ソロモンの祈りに耳を傾けているような思いにさせられます。とりわけ、新会堂の建築を目指している私たちにとって、その言葉に耳を澄まさずにはいられない祈りです。

 エルサレム神殿は、ソロモン王の治世において建てられました。しかし神殿の建設を最初に計画したのは、ソロモンの前の王、父ダビデでした。ダビデはイスラエルの北王国と南王国の12部族を統一し、全体を治めました。北王国と南王国のほぼ中間に位置し、どちらにも属していなかったエルサレムを国の新たな都とし、新しい都に「契約の箱」を運び入れました。契約の箱とは、かつて神さまがモーセを通して与えてくださった、十戒が刻まれた2枚の石の板が納められているものでした。神さまが与えてくださった契約は、神さまがおられることのしるしでした。神の民イスラエルがエジプトから導き出され、荒れ野の旅を経てカナンの地に入ってからは、契約の箱は幕屋の奥に納められてきました。その契約の箱をエルサレムに運び入れることで、神さまがおられるこここそ、神の民イスラエルの中心であると人々に示そうとしたのでしょう。王宮に住むようになったダビデは、自分は王宮に住んでいるのに契約の箱は幕屋に納められたままだ、契約の箱において現臨される神さまにも、ふさわしい建物を建てよう、と考え、神殿建設のために土地を購入します。しかし神さまはこの計画を退けられます。ダビデよ、おまえは私のために家を建てると意気込んでいるが、私が家を建てて欲しいとこれまでお前に求めたか、と神さまは問いかけられます。そしてダビデに、ダビデは自分の力で神の民の王となったのではなく、神さまが羊の群れの後ろからダビデを取ってイスラエルの指導者とされたこと、ダビデの次の王にダビデの子を立ててくださり、王国を揺るぎないものとし、その子が神さまのみ名のために家を建てる者となり、神さまはその王国の王座を永久に堅く据えてくださると告げられました(サム下7)。この神さまの言葉を受け留めたダビデは、「取るに足りない私と、私の家を、ここまでお導きくださる」と、神さまに感謝の祈りを捧げたのです。

ダビデの治世には、周りを囲む敵対する勢力との戦いが続きました。ダビデがそれらの勢力を打ち破ったため、ソロモンが王となった時、周囲に敵対する者はいなくなっていました。戦う必要のなかったソロモンは、外交によってエジプトやその他の国々と平和的な条約を結び、経済的、文化的な繁栄をもたらすことに力を注ぐことができました。貿易を通して他国から多くの富がイスラエルにもたらされるようになり、他の国々の秀でた知識や技能に触れることができるようになりました。かつてダビデは死の時が近づいた時ソロモンに、律法に示されている神さまへの務めを守って、神さまのご意志に適う道を王として歩むようにと告げました。ダビデの死後ソロモンは神さまから、知恵に満ちた心を与えられました。王位について暫くの間、ソロモンはダビデに示された道を、この神さまの知恵によって進み、国を導きました。そうして大規模な建築事業が可能な状況が整えられ、ソロモンは在位4年目に神殿の建築に取り掛かります。貿易相手の国から資材や職人を準備し、資金を調達し、7年の歳月をかけて神殿を完成させました。神殿内に、神殿のために製作された備品を整え、最後に契約の箱を一番奥に納めたことが、8章の前半に記されています。神殿の奥の最も重要な場所にあるのは、契約の箱の中に入っている十戒が刻まれた石の板だけ、つまり神さまの言葉だけです。この言葉は、人が神さまを崇めつつ歩んでゆくための道、神さまから与えられた人と人との関係を神さまのみ心に相応しく築いてゆくための道を示します。生ける神さま、共にいてくださる神さまだけを畏れ、その言葉に絶えず耳を傾け、神さまの言葉に従って生きていくことが礼拝の重心にあるのだと、自分たちの生活の重心にあるのです。

 この箱の中の2枚の板は、「主が、エジプトの地を出たイスラエルの人々と契約を結ばれたとき、モーセがホレブでそこに納めたもの」であると、契約の箱を神殿に納める場面で列王記は述べて、十戒の言葉が契約によって与えられたことを確認しています。十戒が示している神の民の生き方は、神さまの契約によって実現へと開かれ、契約において神さまが民に求めておられる道なのです。

人は、神さまから与えられた人生と言う時間を、神さまからの祝福の内に生きてゆくことを願われています。しかしかつてイスラエルの民はエジプトの地で奴隷とされ、人として生きられず、苦しんでいました。自由を奪われ、神さまを礼拝することも叶わずにいました。その民を神さまは救い出し、ホレブの山でモーセを通して、神さまがイスラエルの神となられ、イスラエルの民は神さまの民となるという契約を結んでくださいました。この契約の恵みがあるから、神の民は神さまを礼拝することができます。神さまとの契約に生きてゆくことを願って、十戒の言葉に歩みを導かれることを求めることができます。十戒において第一に求められているのは、主なる神のみを、神さまとすることです。ただお一人の神さまだけを崇め、神さまを礼拝すること無しに、神さまとの契約に生き、神さまのみ前に生きる生活は始まりません。神殿の奥に納められた十戒は、その礼拝のために神殿が建てられたことを示します。

 神殿をどのような場として建てるのか考えることは、神さまがどのような方であるのか考えることであります。人として生きることができなかったところから導き出してくださり、自由の内に生きてゆくことができる生を回復してくださった神さまの救いを考えることであります。神とその民という、神さまとの特別な関わりの中に生きてゆくことを許してくださった契約の恵みを、考えることであります。この救いと恵みを与えてくださり、今も、この先も導いてくださる神さまに礼拝をささげるための場が、神殿です。

祈りに先立ってソロモンは、祭壇の前で全会衆を祝福し、神殿がどのようなものであるのか述べます。ダビデが志した神殿を自分が建て、ダビデに神さまが与えられた約束が実現されたこと、神殿は、神さまのみ名のために建てられたものであることを共に確認します。その上で、天に向かって両手を広げて祈りの姿勢を取り、23節から53節にまで至る、長大な祈りをささげます。今日お聞きしたのはその一部です。先ず、神さまからいただいてきた救いと恵み、約束の実現を思い起こし、神さまに感謝をささげます。イスラエルをご自分の民とする契約を与えてくださった神さまは、ご自身が、み前に歩む僕たちに対して、契約と慈しみを心を尽くして守られる方であると、上は天、下は地のどこにも、あなたのような神はおられないと讃えます。そして2526節では、ダビデに与えてくださった約束を、将来に渡って守ってくださいとの嘆願が述べられます。今日の箇所に続く祈りでは、民が生活の中で直面するであろう具体的で切実な事柄について、幾つもの願いがささげられます。祈りの内容のほとんどは嘆願と言えます。み前に願いを注ぎ出すことができるのは、ダビデの偉大さに拠ってではなく、ソロモン自身の功績に拠ってでもなく、契約によって特別な関わりに結び付けられているからです。神さまが約束を与えてくださり、神さまは約束を成し遂げる方だからです。

 長大なソロモンの祈りの中の中心となるのが、2730節です。神さまが神殿におられるから、願いを神さまに注ぎ出すことができます。けれどそれは、契約の箱によって神さまを神殿の中に留めた神さまに祈るということではありません。神殿の中で、あるいは神殿に向かって、夜も昼も、あらゆる状況の中から人々がささげる祈りを、神は天において聞かれます。神さまは契約の箱にご自分の名を置く方であり、また、天におられる方であります。神殿は、天におられる神さまの臨在があらわされる場であるのです。

私たちは、神さまが自分と共におられる方であることにしがみ付きたくなり、神殿を神さまの住まいと言い切りたくなる者です。その住まいの中に神さまを留め、自分の力の下に神さまを留めておきたい思いに駆られる者です。神殿を神さまの臨在そのものを表すものとし、そのようにして神殿と言う建物を偶像化したくなる思いに駆られる者です。しかしソロモンは、神殿を神さまの住まいとは言っていません。天ですらも神さまをお入れすることはできないのに、まして自分が建てたこの神殿は尚更だと述べて、神さまがどのような方であるのか言い表します。神殿は、神さまの恵みを受け止め、この場に現臨すると約束してくださった神さまにお応えする場であり、全ての人の祈りの家であります。この場所で祈ること、あるいは神殿に来ることが叶わない人々はこの場所に向かって祈りを捧げることが、神さまのみ前に歩もうとする者にとって無くてはならないことなのだと、ソロモンは確信しています。

神さまは、ソロモンの祈りを受け留められました。ソロモンがダビデのように誠実な心でただしくご自分の前を歩み、ご自分の言葉が実現することを何よりも祈り求めるなら、神さまがダビデに約束されたように、ソロモンの王座をとこしえに存続させると、しかしもしソロモンやその子孫が神さまに背を向けて離れ去り、神さまの言葉を退け、他の神々に仕えるならば、与えた土地からイスラエルを断ち、神殿を捨て去ると告げられました(947)。

人が神さまのみ前から離れ出てしまい、神さまに礼拝を捧げるための場という神殿の本来の意味を軽んじるようになったら、神殿は意味を失ってしまいます。当初は神さまの知恵によって神さまのみ前を歩んでいたソロモンでしたが、次第に神殿の本来の意味を見失い、神殿の奥に納めた十戒のみ言葉から離れてゆきます。それは、一時的な平和的関係を手に入れるために、異教の神々を崇拝するエジプトのファラオの娘を妻に迎えたこと、神殿の次に着手した王宮の建築に、建築期間も規模も神殿の倍をかけたこと、異教の神崇拝が王宮の中に持ち込まれ、神の民の間にも広まってゆくのを黙認したことなどに現れています。ソロモンも、他の王たちも、神殿を自分の王としての正統性を示すために用い、神殿の理解を歪めてしまうことに引きずられました。王だけでなく、そのような指導者に追随し、自分たちの利益のために神殿の営みを利用し、自分の都合の良いものに歪め、そこで捧げられる礼拝も歪めてしまう人間の罪は、いつの時代にも人の内から消えることはありませんでした。

主イエスが神殿から退けられたのは、そのような歪みでありました。ソロモンは神殿で、誰もが陥っている罪から救われ、罪がもたらしている悲惨さの中から救われ、あらゆる者に赦しが与えられることを祈り願いました。しかし主イエスの時代、罪を深く悔い改め、ただ神さまを畏れ、神さまのみ前にひれ伏す礼拝から、神殿の礼拝は離れてしまっていました。自分たちの欲望のために神殿の祭儀を歪める者たちによって神殿は強盗の巣となっていると主は言われました。ソロモンの奉献の祈りは、神殿は本来、イスラエルの民だけでなくこの神殿に来て祈る異国人のためでもあり、神殿は諸国民の祈りの家でもあることを示していました。しかし神殿は「すべての民の祈りの家」ではなくなっていました。

主イエスが激しくお怒りになったのは、いつの時代にも、私たちを含めた誰の中にも見出せる人間の実態です。神殿の在り方を歪め、礼拝を歪める者たちを、主イエスは神殿から追い出しました。それを聞いた神殿の指導者たちは、主イエスをどのように殺そうかと、主イエスの殺害計画を具体的に立て始めます。神殿の本来の意味を蔑ろにし、神さまが名を留めると告げてくださった祈りの家を歪め、礼拝を歪め、主イエスが自分たちの救い主であることを退ける人間の罪は、十字架にまで主イエスを退けることになります。その主イエスが、世の罪を取り除く神の子羊としてご自分の血を流してくださり、死者の中から三日後に復活されて、死で終わらない命をもたらしてくださったのです。

 

ソロモンが祈った本来の神殿は、人間がまったく思いもよらない仕方で、神さまによって地にもたらされました。私たちの内に神のみ子が人となられて宿り、み子の十字架において神さまは私たちと新しい契約を結んでくださいました。み子の父なる神が私たちの天の父となってくださり、み子イエス・キリストを信じる者たちを神の子らとすると、新しい神の民、教会とするとの契約を結んでくださり、この契約へと私たちを招いてくださいました。このみ子によって私たちは神さまに礼拝をささげ、神さまに祈り、神さまの道を歩むことができるようになりました。復活の主こそ、ソロモンの祈りが示す本来の意味での神殿です。キリストは天に昇られましたが、聖霊において私たちと共におられます。私たちはキリストのもとに集い、礼拝で語られるみ言葉を聞き、キリストが招いてくださる食卓から聖餐の恵みを味わうことによって、キリストの現臨を確信することができます。キリストが招いてくださるから、キリストが私たちの只中に共にいてくださるから、これが主に捧げる礼拝となります。キリストが真の神殿となってくださったから、夜も昼もキリストを通して私たちは神さまのまなざしの中にあることを確信し、私たちがキリストのみ名によってささげる祈りが、神さまに聞き届けられることを確信するのです。