「み手の内に置かれて」申命記33:2~3、ヨハネの黙示録7:13~17
左近 豊
本日は永眠者記念礼拝として、み旨によって、同じ時代を生きる幸いを与えられ、長さはそれぞれではありますが、美竹教会に連なり、そして今は一足先に主なる神のみ手の内に置かれた方々を覚えて、特に昨年11月から1年の間に逝去された方々の歩みを思い起こしながら、お一人お一人が見上げておられた復活の主を共に仰ぐ時としたいと思います。
Mさん、Kさん、Tさん、Hさん、Tさんを、この1年の間に御許にお送りしました。ご存知の方もそうでない方もおられるかもしれません。けれどもキリストを主と告白して救われた、この一点で結び合わされた信仰の家族でありました。主のみ体なる教会に連なる枝として豊かな信仰の実を実らせ、色あせることのない彩りをもたらされたご生涯を刻んでゆかれました。
昨年末に突然逝去されたMさんは、ご両親が美竹教会で結婚されて以来、美竹教会と関わってこられました。2014年にお父様が逝去されて、親しい方の事故死も重なって、生きることに意味を見出せない苦しみの中で、お母様の勧めもあって面会にこられました。それから2年後の2017年クリスマスに洗礼を受けて教会員となられました。何よりも喜ばれてご一緒に礼拝に来られていたお母様も2019年に逝去されて、Mさんは天涯孤独となられたと嘆かれ、深い悲しみに食事ものどを通らなくなられ、早くご両親の下に行きたいとの思いが周期的に波のようにMさんを襲っていました。喪失に引きずりこまれそうになりながらも、教会で息を吹き返すようにして歩んでおられました。クリスマス毎に教会の仲間たちに誘われてハンドベルやトーンチャイムのチームに加わって、一生懸命ベルを振って礼拝や愛餐会を楽しまれ、ご両親もこんな自分の姿を見たら、きっと喜んでいますよね、と嬉しそうに何度も話されました。逝去される直前のクリスマスにも楽譜を追う真剣なまなざしと奉鐘の後のホットしたうれしそうな笑顔は、クリスマスの主への真摯なささげものでした。ご自宅で転倒され、そのまま逝去され、後見人であった行政書士の方からの連絡で逝去を知らされました。63年のご生涯でした。礼拝堂の左手奥に座られ、礼拝の前後には必ず無邪気な、そして少しはにかむ笑顔で近況を話してくださった姿は、イエスキリストが幼子のようにならなければ誰も天の国に入ることはできないと言われた言葉と共に思い起こされるものです。
今年の2月に逝去されたKさんは美竹教会を代表する礼拝者のお一人でした。ほぼ毎週、必ず礼拝堂の右手前方に座られて、賛美の歌声は美竹教会の礼拝を生き生きと活力に満たしました。ここ数年間は、外出されるのは日曜日の礼拝で、タクシーでの往復となられるまでは、片道おそらく30分の道のりをご自分の足で歩いて往復されることを大事にしておられました。「私は神の恵みを無駄にはしません」(ガラテヤ2:21)からとられたお名前のとおり、み恵みに生きられました。それは実に重厚で栄光に満ちた恵みでありました。ご実家で始められた集会が後に教会となりましたので、幼児洗礼を受けられてから礼拝生活をされてきました。戦時中は憲兵に見張られ、学校では非国民とののしられ、いじめもうけ、度重なる苦難をくぐり抜けて来られました。
美竹教会では長く長老を務められ、美竹教会を祈りと知恵と賜物によって導き支えられました。その静かな、そして確かな礼拝者の佇まいにいつも励まされ、身を正されました。礼拝での子どもたちへのメッセージも完全原稿で準備して臨んでおられました。少しづつ教会でのお働きを退いてゆかれましたが、礼拝に来られる子どもたちを見る優しい眼差しに母親たちは大いに慰められていました。
召される直前の主日もKさんはいつもの席でいつものように礼拝を捧げられました。将来、主の日に再びみ前で捧げる礼拝で、Kさんの賛美の歌声が響くのを遥かに望み見ながら、礼拝者の模範として私たちの間にいてくださったKさんを大事に信仰の先達として思い起こしていたいと思います。
Tさんは生涯において美竹教会の礼拝に連なったことは1度もありませんでした。ただ、確かに私たちの教会の枝であられました。5月初めにご家族のご希望を受け、長老会の承認を得て、急遽病床で洗礼を授けました。その3週間後に入所されていたホームで静かに息を引き取られました。受洗の際には、はっきりとご自分で受洗の意志を表明され、「ここは病院だけど大丈夫ですか?」「面会時間は15分しかありません」と洗礼を授ける私の心配までしてくださり、式の間は目を瞑っておられましたが、最後の祈りを捧げた後、「ありがとうございました」とはっきりと口にされました。召されるまでの3週間、キリストの弟子とされた自覚を強く持たれて、お見舞いに来られたお孫さんに恐れることなくみ国へと向かう平安と喜びを語り聞かせられ、意識がある限り主を宣べ伝えて逝かれたこと、遺された遺品の中に研究者人生の途上で味わった困難の度に祈っておられた「主の祈り」があった旨を知らされました。朽ちる命ではなく、朽ちない永遠の救いに真っ直ぐ目を向けておられた姿は、信仰生活の長さではなく、濃さと確かさを刻んでゆかれました。美竹教会にTさんが加えられたことは恵み以外の何ものでもありません。
Hさんは、型にはまらない自由な信仰と、誠実で真摯な交わりをもって美竹教会に神様の恵みを刻んでゆかれました。20代後半にご実家で洗礼を授けられ、その後しばらくは信仰生活から離れておられましたが、ご次女が美竹教会でお花の教室を開かれ、その後神学生として過ごされ、お孫さんが青山学院に通われ、美竹教会に連なられ、青山学院院長だった山北先生の導きと、入院生活中に病室に置かれていた聖書を開き、クリスチャンの主治医の祈りに導かれるようにして2017年に美竹教会に転入会されました。「やっと神様と落ち着いて話せる場所に巡り合えた」とおっしゃっていました。教会学校の子どもたちのために、と大きな鉢植えに植えられた実のついたブドウの木をプレゼントしてくださったり、毎年アドヴェントには講壇に飾る大きなポインセチアをご準備くださり、ご自身のお辛い経験から防災のために備蓄用のペットボトルを送って美竹教会を見えるところ見えざる所で祈り支え励まし続けてくださいました。2年前に倒れて、一時はかなり危険な状態になられ、余命宣告も受けられましたが、療養生活を続けられ、今年の2月から緩和ケアに移行されました。3月には深恵子牧師が訪問して聖餐式を守り、祈って別れ、その後山梨のクリニック併設の施設で最期の日々を送ることを決断されて、身の回りの整理し、穏やかに8月11日にご家族に看取られて息をひきとられました。
Tさんは、客員として長く美竹教会の礼拝に出席しておられました。いつも礼拝堂の真ん中の通路側に座っておられました。1932年に東北で生まれ、小学生の頃に近くの教会学校に通われたのがキリスト教との出会いでした。戦争中は離れておられましたが、戦後、再び聖書を手にし、洗礼を受けられ、さらに牧師であった夫と教会に仕える生涯を辿られました。夫の急逝で続けておられた家庭集会も閉じて、美竹教会の礼拝に来られるようになりました。多くを語られることはありませんでしたが、礼拝に連なり、教会を愛する礼拝者の佇まいは凛としており、その姿をもって主を指し示してくださいました。信音に書いてくださったご自身の詩の中で、おそらく洗礼を受けられた方を覚えてのものだと思うのですが「魂の誕生はどれほど大きな喜びを天にもたらすことでしょう。一人の姉妹が新たに生まれました。神様の国の住民としてその名前が今、生命の書に記されたのです。ある日神の招きを受けました。はじめは好奇心からであったかもしれません。しかし神の方へ向け意を変えたのです。人は知らなかったけれど、そこには計り知れない神のご計画があったのです。神の手によって 捕らえらえ、様々なことがあった後、まかれた種は芽を出し、ついに新しく生まれ変わったのです。その喜びに共に与ることは、何と感謝な事でしょう。一人の人が救われるのは、周りの多くの人に喜びと新しい決心を促すのです」と。ひとりひとりの魂に思いを寄せて、祈り続けておられたTさんの眼差しは美竹教会に集う私たちにも注がれていたことの幸いを思い起こします。
先ほど読まれたヨハネ黙示録の幻の中に登場する終わりの日の情景の中で、「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」という語る長老の言葉がありました。衣が、小羊の血で洗われて白くされた、とはどういうことか?小羊の血とはイエスキリストの十字架で流された血のことで、救われた者たちは、このキリストの血によって、どす黒く染みついてどんなに漂白しても落ちない罪を清められたから、今や真っ白な衣を着て神の前に立っているのだ、と長老が語っているのです。本来ならば、染みついてこびり付いた罪を露わにされ、悲しくなるほどに、絶望的な漆黒の色に染まった私が裁きを受けて当然であるにもかかわらず、神は、私たちが滅びることを望まないゆえに、むしろ罪とは無縁でまっさらな、そして神と本質を同じくする御子イエスキリストにその裁きを一身に受けさせ、これをもって裁きと義を貫徹された。もはや私たちに罪を問う事なく、むしろ罪に染まった私たちにキリストという救いの衣を着せて、御前に立つことのできるものとしてくださったというのです。相も変わらず罪人であっても、このキリストの救いを信じるゆえに義と認める、と。神がその義を貫くならば、だれもがその前にあっては完膚なきまでに刺し貫かれるしかない。けれども聖書は、神ご自身が、罪の責任を私たちに負わせることを望まない。だからといって義を曖昧にごまかしたり無化することもされない。大きな葛藤と矛盾の中で神は、ご自身の義をご自身に向ける決断をされたということが旧約聖書のホセア書で語られるのです。
おととい上智大学神学部の授業で、ホセア書の講義をした時のこと。授業を終えて使っていた機器を一つ一つ片づけていた時に、ひとりの学生が質問に来られました。つい数週間前にカトリックの洗礼を受けられたばかりの学生で、いつも教室の一番前で講義を聞いています。手にしていた聖書に沢山書き込みがしてあって、その日の話の要点を書きこんでいて、聴いたことをちゃんと理解したいと、真剣な、何か内側から求めているような、そして何か弾むような目で聞いてこられたので、帰る準備を止めて向き合いました。それはホセア書の11章8-9節について、ヘブライ語の元の意味をもう一度教えてほしいというものでした。ホセア書の最も有名な個所の一つで神の愛が語られている箇所です。
「エフライムよ/どうしてあなたを引き渡すことができようか。/イスラエルよ/どうしてあなたを明け渡すことができようか。/どうしてアドマのようにあなたを引き渡し/ツェボイムのように扱うことができようか。/私の心は激しく揺さぶられ/憐れみで胸が熱くなる。」
この最後のところで、神が「私の心は激しく揺さぶられ」という訳の元のヘブライ語は、直訳では、神の心が内側にひっくり返る、「私の心は、私に反して向きを変え」(大島力)るとなっているということを授業で話しました。神が義を貫けば、罪にまみれたご自分の民は滅ぼされねばならない、ただ神はそれをどうしてもできないなかで煩悶され、ついに心引き裂かれて、腸ちぎれんばかり思いで、裁きをご自身に向けられる決断をなさったのだ、とホセアは語ります。昨年末に召された大島力先生によれば、「「神に対立する神」。ご自身を引き裂いてまでも人間を愛そうとする神、ホセア書が証ししている神は、そのような神です。・・・それは決して、安易な赦しの言葉ではありません。そうではなく、・・・罪の矛盾の中にある人間が救われるために、「神が神に対立し」、ご自分を引き裂き、もう少しいえば、血を流される必要がある、という厳粛な事実であります。・・・」「ご自分に対立してまでも人間の罪を赦そうとする神であると言えましょう」(大島力『預言者の信仰』)「罪がないのではない、赦され、支えられている罪がそこにあるのである。それは罪が無いのと同じことなのである。いな単に罪がないよりはもっと深いなにものかがあるのである。それは罪を覆う愛である」(森有正「ドストエフスキー覚書」よりの引用)。
この聖書の信仰を、Kさんも、このように語っておられました。「終わりの日に、この自分のために十字架に架かられたそのお方が裁きを為さる、その主のみ前に立たされる時、福音の喜びの中に留められてきたことをお前はどれだけ感謝してきたのかと問われたらどうするのか。感謝をしてこなかったと、恥ずかしさで真っ赤になるばかりだろうと。しかし裁き主は同時に救い主なのだ。自分の行いではなく、キリストの真実によって義とされているのだ」
Kさんを含めて召された5人の方々は、皆、例外なく、この御子の十字架の死に現わされた神の愛に覆われ、救われ、キリストの義の衣をまとって、「み手の内に置かれた」方々です。信仰の先達として出会わせてくださった神に感謝しつつ、祈りをささげます。
生きる時も死ぬるときも真の慰め主であられる主、イエスキリストの父なる神様。私たちの礼拝の群れにMさん、Kさん、Tさん、Hさん、Tさんを加え、こんなにも素敵な方々と出会わせてくださり、同じ時代を共に格闘しつつ感謝しつつ歩む幸いを味わわせてくださり、感謝いたします。み許にお送りした寂しさは、折に触れて胸に迫ります。未だ癒えぬ悲しみと、もっと言葉を交わせばよかったとの悔いに苛まれることもあります。あなたはそれをご存知です。どうぞ遺されたご家族、親しき者たち、そして私たち教会の家族にあなたの慰めを注いでください。伏せて涙に曇る眼差しを高くあげて、終わりの日に、あなたの御手の内に置かれ、キリストを着て高らかにあなたを賛美する群れに共にあること、さやかに見させてください。
