「共に主のみ名を呼ぼう」ルカ10:38~42、詩編116
2024年11月10日(美竹教会 永眠者記念礼拝 左近深恵子)
毎年11月第二週の礼拝は、永眠者記念礼拝として捧げます。永眠者とは、亡くなった方のことを指す一つの表現です。聖書において死を「眠りにつく」という言い方で表現されることが多くあるので、亡くなった方を「眠りについた方」という意味で「永眠者」と呼びます。信仰者にふさわしい表現でありましょう。
この表現には永久に眠りにつくという字が用いられていますが、復活を否定してこう呼んでいるのではありません。私たちは復活を信じています。それがどのようなものであるのかは分かりませんが、聖書は主イエスが再び来られる時に私たちも復活すると教えています。私たちには死が全ての終わりではないという希望が与えられているのです。主イエスにあって新しい命に生きることへと導き入れられたキリスト者は、永久の命を生きる者とされると、キリストが死者の中から復活され、眠りについた人たちの初穂となられたのだから、キリストを信じて眠りについた人たちをも、神さまはキリストと共に導き出してくださると聖書にあります。キリストにあって新しい命を生きるということを、テトスの手紙はこのように述べています、「神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。この憐れみにより、私たちは再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて救われたのです」(テトス3:5)。人は洗礼において再生の洗いを受け、新たに造りかえられ、新しい命に生きる者とされます。それは私たちの正しい行いによって実現されたのではなく、ただ神さまの憐れみによります。自分を救うのに十分な正しい行いを為すことなどできません。ただ神さまの憐れみよって、死も終わらせることのできない命を約束されています。だから私たちは神さまのみ前に進み出ることができるのです。
礼拝で私たちは、私たちを招いてくださる神さまのもとに集い、み前に進み出ます。憐れみによって私たちを救ってくださる神さまのみ前では、私たちは死への恐れを抱えている自分のままでいられます。人の前では平気な振りを装うことがあっても、神さまのみ前では繕う必要はありません。死がいつか訪れることへの不安、死そのものへの不安、自分の人生や生活や人との関りが断ち切られることへの不安があります。死へと向かう途上、肉体の重荷が増え、機能や力が失われてゆくことへの不安、愛する者が変わってゆくことへの不安、愛する者の存在とつながりが奪われることへの不安があります。詩編116編が綴っているように、死は生きている者の日々を侵します。116篇は死を「死の綱」、あるいは死者たちのための場と考えられている「よみ」と言い換えます。死は、生きている者の心や、踏み出そうとする足に絡みつき、躓かせ、倒れさせる力を持っています。自分を誤魔化し、諦めることへと追いやります。しかし詩人は、主は恵みに満ちた正しき方、憐れみ深い方、未熟な者を守ってくださる方であり、弱り果てると救ってくださる方だと言います。だから「私の魂よ、休息の場に帰れ」と詩人は自らに言います。私の魂よ、本当に心から安らぐことのできる神さまのみ前に帰ろうと、呼び掛けます。主なる神は「私の命を死から/目を涙から/足をつまずきから助け出してくださ」る方であると。死の力に倒れ、涙する者の命を、死の力から、死の領域から救い出してくださる方であると。神さまの慈しみに忠実に生きて来た人が死を死ぬことは、神さまの目に重いことであるともあります。神さまは人を死の力から救ってくださるお力を持つ方です。そしてまた、それまで聞こえていたその人々の感謝の声が地上で止み、それまで続いていた主を証しする歩みが止むことを、大きな事と見ておられる方なのです。この神さまの眼差しの内に神さまのみ前に進み出て、新たにされる信仰生活を重ね、私たちに先立って眠りにつかれた美竹教会の会員の方々を本日は覚え、教会の歴史に貴い軌跡を刻まれた信仰の歩みを覚え、悲しむ人々に慰めを祈り、その人々を導かれ、その人々との結びつきを私たちに与えてくださった神さまに感謝を捧げる礼拝です。特にこの一年の間に召された、Fさんの生涯に刻まれた主の恵を共に覚えたいと思います。
Fさんは、私が美竹教会に来た頃の2018年の春を最後に、礼拝に出席することが叶わなくなっておられました。お手紙では数回やり取りをしたことがあり、美しい紙に、美しい字で、選び抜かれた心遣いに満ちた言葉を綴ってくださいました。ご自宅が渋谷でありましたので、週報などを届けたいとお宅を訪ねたこともありましたが、お会いすることはできませんでした。一度だけFさんが日曜日のお昼頃、教会に寄られたことがありました。「今日は体調が良いので散歩がてら教会まで来てみた」とおっしゃって、礼拝後にまだ残っておられた方たちと共に、暫し玄関でお話しする時を持つことができました。それが私にはお話しすることのできた最初で最後の時となりました。Fさんご自身からお話しをゆっくりうかがうことができなかったので、本日は過去の信音にFさんがお書きになったものを基に、Fさんの信仰の歩みを辿ってみたいと思います。
新聞記者であったお父様と、お母さまの、5人のお子さんの3番目、次女として、1936年に東京にお生まれになりました。第二次大戦中はきょうだい3人で地方に疎開され、戦後の困窮の中をご家族は、お父様の筆一本で切り抜けてきたと書いておられます。大学は国際基督教大学に進まれました。この大学は、戦争の終結を期に、日本と北米のキリスト教関係者たちによって、平和のために貢献する人を育成するという願いと祈りによって生み出されました。創立後間もない時代にFさんは入学されましたが、新しい理念の下で、熱気に溢れた大学の雰囲気や、ご自分とは背景の全く違う学生たちに、戸惑うことが多かったそうです。しかし、秋田稔という先生が指導しておられた聖書研究会に出るようになり、秋田先生の旧約聖書の講義を聞き、Fさんは神さまがどのような方であるのか知りました。「天に登ろうと地の底に伏そうとも見ておられる神を知ってしまった私は、勉強も手につかず、悩みに悩んだ末に」、「1957年12月の冷たい日」、洗礼を受けたと記しておられます。Fさんが引用されたのは、詩編139編の言葉です。聖書協会共同訳ではこのような訳文になっています、「天に登ろうともあなたはそこにおられ/よみに身を横たえようとも/あなたはそこにおられます」。Fさんは、人の生涯のどのような時にも、死の後も、人と共にいてくだる神さまと出会われたのです。洗礼の決意に導かれた心境を、「崖から飛び降りる気持」と書いておられます。洗礼において、「自分の足元に口を開けていた墓穴に自分自身を放り込」み、そのひきかえに旧新約聖書が証しする神を「わが主よ」と呼び掛けることができる者となったのだと、受洗50年の記念の年に50年前の洗礼の日を振り返って書いておられます。
以降Fさんは66年に渡る信仰の旅路を歩み通されました。その間ご結婚され、お二人のお子さんにも恵まれました。種々の事情からなかなか教会の礼拝に足を運ぶことが難しい時期が30年ほどあったそうです。その30年の空白をどうやって生きることができたのか、ご自分で考えても不思議なくらいだと書いておられます。日々の生活の中で苦しむ時、悩む時、自分の醜さに打ちひしがれる時、教会に行けない中で、聖書をどこともなく開いては読んでおられたそうです。読んでいるうちに何かを与えられ、強められていたと。それでもどうしても耐えきれない思い、いつか教会の会堂に座る生活を取り戻したい思いで一杯であったと、そして美竹教会に辿り着いたのだと記しておられます。2005年4月に転入されてからこの教会で信仰生活を送られました。信音編集の奉仕を担っておられた時のことを、K長老が信音秋号で書いておられます。教会に来ることが難しくなられてからは、Fさんのご友人を通して時折ご様子をうかがっていました。その方は大学の時からのご友人で、他教会の会員であり、そちらの教会の奏楽者でもありますが、コロナ感染が拡大するまでは年に数回、美竹でも奏楽の奉仕をしてくださっていました。美竹に来られると、礼拝後にFさんを訪ねておられました。他のご友人と渋谷で落ち合って訪ねることもありました。礼拝には来られなくても、そのご友人たちを通して、礼拝の恵みがいくらかでもFさんに届いていたのではないかと思います。他にも訪問される方、お手紙を書かれる方がきっとおられたことでしょう。コロナが拡大した頃、Fさんはそれまで過ごしておられたご自宅からホームへと住まいを移されました。今年のGW頃から急に体調を崩され、6月14日に87歳で地上の生涯を閉じられました。葬儀は入院しておられた聖路加病院に隣接する聖路加礼拝堂にて、親族の方々で行われました。私ども牧師も教会を代表して出席しました。また先ほど触れました大学からのご友人数名も、出席が叶いましたことは、感謝でした。
Fさんは大学院を出られた後、研究と臨床心理士としてのお働きに従事されました。電話で相談を受けるライフラインの働きにも相談員として携わっておられたことを、信音に書いておられる文章から知りました。キリスト教主義の女子校では、10代の生徒たちの心の問題と20年ほど向き合ってこられ、その学校の先生方にとってもFさんの存在は支えとなっておられたと聞きました。人が持っている“やさしさ”が、その優しさゆえに傷つき、目で見えるものさえも信じることができなくなってしまう苦しみ、悲しみを抱え、心も体も死に瀕するほどの困難を抱えている人々と向き合う仕事と書いておられます。絶えず細やかな配慮と忍耐が必要な、厳しい、貴いお働きであります。日々の生活は信仰によって生かされており、お仕事をされる中で信仰が試されていると書いておられます。ご自分が信仰に生きているかどうかが相手の言葉に耳を傾けるその姿勢や返す言葉の一つ一つに現れることに、おそれつつ主に拠り頼む思いで、苦しみ悲しむ人々に向き合っておられたのではないでしょうか。その文章の最後は、「主よ、どうぞ共にいてくださいますように」との祈りで結ばれているのです。
先ほど、ルカによる福音書からマルタの家での出来事を聞きました。この出来事は、主イエスがそれまで活動してこられたガリラヤ地域を後にして、エルサレムへと向かわれる途上のことです。十字架にお架かりになり、死なれ、3日目に復活される地、エルサレムへと向かっておられます。今日の出来事のすぐ前で主が語られているのは、「良いサマリア人」という呼び方で知られる譬え話です。ある人がエルサレムからエリコへと降っていく途中、追剥に襲われ、服をはぎとられ、殴りつけられ、瀕死の状態のまま捨て置かれます。そこを通りかかった祭司もレビ人も、その人を見ると道の反対側を通って行ってしまいますが、サマリア人の旅人はその人を見て気の毒に思い、応急処置をして宿屋に運び、一晩中介抱し、翌日宿屋の主人にその人の介抱を頼み、必要なお金も託していきます。この話をされたのは、ある律法の専門家が主イエスに、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるか」と問うたからでした。主イエスはその者に、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と問い返され、その人は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」と書いてあると、自分はそれぐらい知っていると言わんばかりに答えます。自分を正当化したいがために、「では、私の隣人は誰ですか」と更に問いを畳みかけるこの人に主はこの譬え話をされ、最後に、「行って、あなたも同じようにしなさい」と命じられます。
律法を、神さまのご意志にお応えする生き方の根幹を神さまが示してくださっているものとして耳を傾け、受け止め、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、自分の神である主を愛する」ならば、主を愛する愛から隣人を愛する行動へと押し出されるはずであります。そのように律法に聞くことなく、主を愛することなく、主イエスのこの最後の言葉だけ拾い上げるならば、隣人に善を行う人間の正しい行いが、その人に永遠の命を受け継ぐ道を与えるように私たちは取ってしまうかもしれません。目に見える行いに目を奪われ、行動そのものだけに価値を置きがちな私たちに重ねて語りかけるように、この福音書はマルタとマリアの物語を続けて述べます。
この日、主イエスと弟子たちの一行を、マルタは迎え入れます。主イエスの一行や主が遣わされた弟子たちを迎え入れ、食事や寝泊まりのために、種々の働きをもって支えるマルタのような人々がいたからこそ、主イエスと弟子たちは日々旅を続け、町や村で福音を宣べ伝えることができていたことを思わされます。マルタは、主イエスが宣べ伝えておられる神の国を受け容れる信仰によって、一行を迎え入れました。マルタの信仰が、この出来事の始まりにあります。この信仰から、一行をもてなすための働きを始めたことでしょう。
一方妹のマリアは、マルタがせわしなく動き続けている間、主イエスの足元に座って主イエスの話しに聞き入っています。次第に苛立ちを募らせたマルタは、主イエスのそばに立ち、妹は自分だけにいそがしくさせている、妹に手伝うように言ってくださいと主イエスに訴えます。すると主は、「マルタ、マルタ、あなたは色々なことに気を使い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と告げられます。
体を実際に動かし、現実の具体的な様々な事のために気を回し、他者のために労力を注ぎ続けることを厭わない人であればあるほど、マルタに自分を重ね見、主イエスの言葉に納得のゆかない思いを抱くことでしょう。Fさんも、教会堂に座ることができない年月が続く中で、「イエス様はそう言われるが、この世に生きている以上、日常生活の中では様々なことが起こるのだ」と思っておられたそうです。妹マリアのように教会に行き、座り、み言葉を聞きたいという願いを持ちながらも、主イエスの言葉をすんなり受け入れることができなかった日々を過ごされました。再び教会堂の中で腰を降ろせる生活を取り戻した今は、「『必要なことはただひとつ』とおっしゃったイエス様のみ言葉が、素直に納得できるようになった」と書いておられます。Fさんの日々の生活の源にも、絶え間ない研鑽と熱意が求められる地道なお働きの源にも、耳を傾けて聞く、憐れみ深い主の赦しと救いを告げるみ言葉があったのだと、素直に受け止めることができたのです。マリアのように主イエスの傍に座ってみ言葉に聞き入ることができるようになって、それが何よりも必要なことであったのだと、深く知ることができたのです。
信仰の先達お一人お一人が刻まれた足跡を憶えながら、主のみ前で共に礼拝を捧げられる幸いを思います。私たちが記録や記憶によって知ることのできる、目に見えるそれらの足跡の源に、お一人お一人が耳を傾けて来た福音があります。神を愛する信仰が、隣人を愛する言葉と行いを生み、神さまが実りを結ばせてくださり、この先も実りをもたらしてくださるでしょう。その一歩一歩を支えてこられた神さまの慈しみと導きを思います。信仰の先達たちの後に続き、私たちも聖書が証しする神さまを「わが主よ」と呼び、主の足元に腰を降ろしてみ言葉に耳を傾け、神さまのご意志に忠実に歩むことを求め続けたいと願います。