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裁きを突き抜ける平安

歴代誌下361123「裁きを突き抜ける平安」

20221120日(左近深恵子)

 

 歴代誌は、神の民の歴史を語ります。ダビデ、ソロモンが王であった時代を語り、イスラエルが北と南に分裂し、北王国が滅びた後も、ダビデの家系を辿ることを通して南王国の歴史を語ります。時代と共に世界は変動してゆきます。その移り行く歴史を貫いて、主なる神はご自分の民を、恵みの契約の中に置いてくださることが述べられます。神の民の基盤は、神さまが結んでくださった永久の契約にあり、ダビデが望み、備え続け、ソロモンがそれを受け継いで建設することを神さまから許された神殿、契約の箱が納められている神殿、その神殿で捧げる礼拝が、神の民の生活の中心にあることが語られます。

 

 けれど王も民も、神さまの契約に生き通すことができません。自分たちの力や知恵や、神さまではないものに付き従ってしまいます。歴代誌が「主を求めなかったから」「主に尋ねようとしなかったから」と言い表すこの罪が、王や民の歩みを神さまに背くものとしてゆきます。自分の力や知恵や熱意、他者の持つ力自体を否定しているのではありません。先ず主のみ前に跪き、主を頼りとし、主に道を尋ね求めことが、失われているのです。具体的には、政略結婚などによって異教の神々の偶像崇拝が王から民へと浸透していきます。アサ王、ヨシャファト王、祭司ヨヤダ、特にヒゼキヤ王、ヨシヤ王によって偶像が退けられ、律法に基づいて礼拝が正され、まことの神へと立ち返るための改革が行われたものの、改革し続ける生き方を王や民は保つことができず、人々は自ら滅びへと向かう道を突き進んで行きます。

 

歴代誌の最後、第36章に記されているのは、ユダ王国の滅びです。それはカルデア人の国、バビロニア帝国のネブカドネツァル王の襲撃と都の破壊、その後の捕囚によりました。悲惨な出来事が語られています。それだけでなく、その出来事の根元に何があるのか、聖書は語ります。人々の罪と、罪に対する神さまの裁きを見つめています。裁きはある日突然、脈絡もなくもたらされたのではありません。これまでの王や民の度重なる背きに対しても、神さまはユダ王国に幾度か危機をもたらしてこられました。その危機によって、ご自分の元に急ぎ立ち返るようにと、願ってこられました。預言者たちを遣わされて、進むべき道も示してこられました。けれど彼らは神さまに従う道を歩き続けることができません。王たちは主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者の言葉にも耳を傾けません。神の民の王としてふさわしい道を、王と共に考え、王に示すべき祭司たちも、民も、王と同様、預言者たちの言葉に聞こうとしません。かつて士師たちが神の民を統治していた時代、人々は周りの国々のように、自分たちも人間の王を持ちたいと願いました。神さまは、人間の王に支配されることによって引き起こされる問題を挙げて警告をしましたが、それでも人間の王を欲する民に、神さまは、神の民の王は、王も民と同じように神さまに従う者であると、神さまが王を立てられ、王は神さまの言葉に従うことにおいて、民と共にみ心にお応えし、歩むことができると告げられた上で王を立てられました。その後も、新しい王を立てられる時、王も民も神さまのご支配の下にあることを告げて来られました。けれども、神の民の王としてふさわしい統治をした王は、多くはありませんでした。主のご意志を尋ね求めない歩みは、主の裁きとしての滅びに至る道を突き進むことになると、主の言葉を告げて警告する預言者たちの言葉に王たちも、民の指導者たちも、民も、耳を傾けようとしませんでした。

 

ユダ王国の最後の王となるゼデキヤ王も、主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者エレミヤを退けました。ここにいたるまでのイスラエルの歴史を、今日の15節以下はこう述べます、「先祖の神、主はご自分の民とお住まいを憐れみ、繰り返しみ使いを彼らに遣わされたが、彼らは神のみ使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった」。エルサレムの崩壊と捕囚は、ついに神さまの怒りの炎が燃え上がったからなのだと、抑えようの無い凄まじい炎であったのだと述べるこれらの言葉に、このような裁きをもたらさなければならなかった神さまのみ心へと、こころを向けることを促されます。神さまのみ心から離れ出てしまっているそこから、自分たちで神さまのもとに立ち返ることのできない、その歩みを、神さまはバビロニア帝国の力を用いて阻まれました。

 

ダビデの都エルサレムが滅び、民の主だった者たちは捕囚としてバビロンに連行された、これら悲惨な出来事の根底に、心を尽くし思いを尽くして、主なる神に仕えようとしないイスラエルの民の罪がありました。“このカナンの地は神さまが与えてくださった約束の地だから、奪われることはない。ダビデの血筋は神さまがとこしえに続くと約束されたのだから、大丈夫。神殿も、神さまが臨在されると告げられた神の家だから、滅ぼされることはない”、そのように思いたがりました。神さまから与えられたもの、イスラエルの歴史を紡いできた信仰の先達たちが築いてきたものの上に胡坐をかき、受け継いだものをただ消費するような民の姿です。「神の家なる神殿があるこの都がバビロンによって滅ぼされるはずはないことなどない」と、聞きたいことを語ってくれる偽預言者たちの言葉に聞き、エレミヤのように、イスラエルの民に悔い改めを求める預言者の言葉には耳を傾けません。神さまが遣わされた真の預言者たちの働きを嘲笑い、その言葉を蔑み、愚弄しました。かつて神殿を奉献した時にソロモンは「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」と祈りました。この祈りのように、その神殿がどんなに壮麗なものであっても、人が神さまをその中に住まわせる、神さまをそこに留め置くなどと言うことはあり得ないことです。天と地をお造りになった神さまは、天と地の全てをもってしてもそこに納めることなどできない方です。そうであるのに、自分たちには神がおられる神殿があるから大丈夫と、偽りの平安を求めていました。

 

南ユダ王国を取り巻く情勢は難しいものとなってゆきました。新バビロニア帝国によって王たちが捕らえられたり、連行されたり、神殿の祭具や宝物を奪い去られたりしました。言いなりになって内政干渉され、貢物を送り続けるのか、突っぱねて別の大国に近づき、その国が助けの手を差し伸べてくれることに懸けるのか、その結果大国の軍勢に攻め込まれてしまうのか、南王国が直面している問題の困難さは、今の世界においても非常にリアルなものであります。ネブカドネツァルは最初にエルサレムを包囲し、第一回目の捕囚でヨヤキン王と多くの指導者層の人々をバビロンに連行した時、南王国を解体することも、バビロニアの属州として編入させることもしませんでした。ユダ王国が、大国エジプトとの緩衝地域としての役割を果たすことを期待したのではないかとも言われています。ヨヤキンの代わりにヨヤキンのおじをユダ王国の王につけ、名前もマタンヤからゼデキヤへと変えさせました。当初ゼデキヤは、ネブカドネツァルへの忠誠を示そうと努めていました。その頃エレミヤはユダ国内で、バビロニアの支配をイスラエルの罪に対する神さまの裁きとして受け入れ、神さまの元に立ち返るように説きました。エレミヤの言葉に耳を傾ける人々もいました。しかし自分たちの罪に向き合おうとせず、あくまでもバビロニアに挑んで戦おうと主張する人々もいました。互いの対立は大きくなり、反乱を求める勢いが次第に優勢となっていき、ゼデキヤもその主張に呑み込まれていったと考えられています。とうとうゼデキヤはネブカドネツァルに対して反旗を翻します。それに対し、ネブカドネツァルはユダに向けて出陣し、エルサレムを包囲します。第一次捕囚から約10年後のことです。ゼデキヤや戦いを主張した人々が期待したように、エルサレムは、一旦はエジプトの援軍によって助けられます。しかしエジプトの救援は一時のことに過ぎません。ファラオの軍隊はやがて自分たちの国エジプトに帰って行き、バビロニア軍が再び来て都を包囲し、ついに都は陥落します。王と民がすがってきた偽りの平安は打ち破られ、城壁は崩れ、神殿は瓦礫の山と化します。ゼデキヤ王は捕らえられ、ネブカドネツァルのもとに連行され、息子たちを目の前で殺された上で目を抉られ、王朝は断絶されます。ユダ王国の主だった人々もバビロンに連行されます。こうしてイスラエル民の第二次バビロン捕囚が起こったのです。

 

大国の軍勢が迫って来るかもしれない南王国が置かれている状況の困難さは、今の世界情勢と重なって見えます。南王国は、対外的な危機の中にありました。しかし南王国の本当の危機は、対外的なもの以上に、内なる基盤を失っていたことにありました。大国の危機から身を守るために、別の大国にすがる、そのような政治的な駆け引きを基盤とする在り方、あるいは国粋主義的な戦いにひたすら向かって行く在り方を基盤としてしまう民の内なる目は、神さまを求めていません。たとえ大国と手を結ぶことができても、神さまとの間に和解を得ることができなければ、真の平安も得ることができません。神の民である自分たちの国を誇っても、その誇りを、神さまが奴隷の地から導き出し、ご自分の民としてくださった、神さまの救いのみ業において見出さなければ、その誇りには何の根拠もありません。バビロニア帝国はユダ王国を滅ぼしました。しかしそのバビロニア王の力さえも、主なる神のご支配の下にあることを、聖書は語ります。大国の王による破壊と捕囚を、神さまはご自分の民への裁きとされました。都も神殿も、ユダの人々にとって大切なものでありました。主なる神にとっても同じです。神殿はご自身が臨在し、人々にご自身を現すところであり、ユダの人々そのものが、ご自身の民、ご自身の喜びでありました。その聖所を破壊し、ユダの人々を打ち砕かなければならない、裁きを下される悲しみを、主は担ってくださったのです。

 

周りの国の力に頼って生き抜く道を見出すことが、神の民の本当の力ではありません。力と喜びは、神さまを礼拝することで与えられると、歴代誌は伝えてきました。神さまが結んでくださった契約によって整えられた礼拝において、神の民とされている恵みを知ります。本当の平安は、礼拝において味わう神さまとのつながりにおいて与えられます。そのつながりを、人は自分たちの罪の深さ、執拗さによって、失ってしまいます。神さまが下される裁きによって神さまとのつながりを失い、自分たちの基盤を失ってしまいます。 

 

人の罪はまた、人間だけでなく大地からも安息を奪っていたことが、21節からうかがえます。バビロン捕囚が起こり、「この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、70年の年月が満ちた」とあります。人間の罪が巻き込む相手は、人間だけでなく、他の被造物にも人間の罪の影響が及ぶことは、創世記の洪水の物語においても明らかでありました。地上に人の悪が増し、人は常に悪いことばかり心に思い計っていたために、箱舟の中のものたちを除いて、大地とそこに生きていたものたちは洪水にのみこまれます。神の民が主の目に悪とされることを行い、主を尋ね求めなかったことで、神さまが民に与えてくださったカナンの地も、安息を奪われていたと述べるのです。

 

歴代誌は、ここでは70年と数えられる長きに渡る捕囚の先をも語ることで、結びとします。エルサレムが崩壊した時代のイスラエルの民には、バビロニア帝国が最強の国に思えたでしょう。しかしやがてバビロニア帝国はペルシャのキュロス王によって退けられます。その時代のイスラエルの民には、最強国はバビロンからペルシャへと代わったように思えたでしょう。そのキュロス王も、神さまのご支配の下にあることを、歴代誌は語ります。「主は、かつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシャの王キュロスの心を動かされた」(22節)と。聖書協会共同訳では、主が「ペルシャの王キュロスの霊を奮い起された」と訳されています。キュロスの上に働かれた主のみ業の力強さが、より鮮明に言い表されています。神さまに促されるように、キュロスはイスラエルの民が故郷に帰り、神殿を再建し、エルサレムを復興する道を開くための勅令を出すことになります。主の裁きは永久に続きません。神さまは、裁きを貫く展望を示してくださっています。

 

 旧約聖書が語る歴史は、神さまに従いきることのできなかった神の民の罪の歴史であり、その民をご自分の元に呼び戻そうとされる神さまのみ業の歴史です。人の罪にもかかわらず、それでもなお人を赦そうと、呼び戻そうと、語り掛けてくださいます。

 

しかし人は、自分たちに至る神の民の歴史、救いの御業の歴史を受け留めることに遅い者であります。主イエスはそのような人々の只中に、人となってお生まれになりました。アブラハムの子孫であること、神さまにご自分の民とされた民であること、律法を与えられ、神殿という神さまの家を持つ民であることを誇りにしていながら、誇りの基盤が何であるのか、旧約聖書が歴史の先に何を望み見ているのか、聖書と共に見ようとしていなかった人々の只中に、降られました。

 

 主イエスは、旧約聖書の歴史が先に望み見ていた平安を、この人々に、あらゆる時代の神の民に、もたらしてくださいました。人の罪深さ、人の罪の執拗さに注がれるはずの神さまの怒りは、み子イエス・キリストの十字架の上にすべて注がれました。

 

 

だから私たちは、主イエスが私たちの代わりに、私たちの罪の裁きを受けられ、十字架にお架かりになったことを飛び越えて、ただ、神さまが共にいてくださるから大丈夫と言うことはできません。主イエスの十字架によって和解をもたらしてくださった神さまのみ前に進み出ること、悔い改めることを飛び越えて、揺るぎない平安を得ることはできません。み子の十字架を仰ぎ、成し遂げられた神さまとの和解を知ることは、どのような時も私たちが礎とすることのできる平安を知ることです。時代が変われば、私たちが置かれている場所の世の覇者も変わっていきます。周りの状況が変化すれば私たちは容易く揺さぶられ、困難な年月が長く続けば弱ってゆきます。それでも、どのような力も神さまのご支配の下にあります。裁きを突き抜けて復活されたイエス・キリストによって、主の平安がここにもたらされています。