復活の主(20年イースター号巻頭エッセー)

     「復活の主」           左近深恵子

 

人とのつながりは目には見えないけれど、私たちの時間を彩る宝のようなものです。誰かと思いを共有できた瞬間、心躍ります。穏やかなひと時を共に過ごせる温かな喜びがあります。相手に新たな一面を発見する嬉しい驚きがあります。人とのつながりの中で思ってもみなかった隔たりを感じることもまたあります。感じ方、捉え方がこんなにも違うのかと気づくこと、相手が自分ほど心を開いていないと感じることがあるかもしれません。寂しさを覚えることも、打ちひしがれることも、あるでしょう。つながりの中で傷つくことも、傷つけてしまうこともあるでしょう。これでつながっていると本当に言えるのだろうか、この関わりの中で何かを伝えること、何かをすることが未来へとつながっていくのだろうかと、どこかで迷いや不安を抱えていたり、互いの気持ちや熱量、思いの方向に時にずれを感じながら、私たちは他者との関係を築こうとしています。

 

キリストが復活された日、エマオへと向かう二人の弟子たちがいました。主の復活の知らせをエルサレムで受けながら、エルサレムを後にし、歩を進める二人をキリストが追ってくださいました。共に道を歩き、聖書全体にわたってご自分について書かれていることを説き明かされました。二人が滞在する家の中へと入ってくださり、その家の食卓で二人のためにパンを裂かれ、ご自分を明らかにしてくださいました。

 

キリストはまた、エルサレムに居た弟子たちの家の中へと入ってくださり、弟子たちの真ん中に立たれ、「あなたがたに平和があるように」と呼び掛けてくださいました。主イエスの弟子でありながら主を裏切り、互いに相手を信じ切れず、自分のこの先に不安を抱き、平和を失っている弟子たちに、キリストが平和をもたらしてくださいました。

 

 

私たちに自信はありませんが、主が私たちと共におられます。私たちの間に、私たちの真ん中に、キリストがおられます。寂しさや不安や迷いが入り混じる他者との関わりの中へと、キリストを見失っている歩みの中へと、私たちの暮らしの中へと、キリストが入ってきてくださいました。神さまは、私たちの罪を贖うために十字架にお架かりになったキリストの復活によって、死の出来事にも、死に至る私たちの闇にも、新しい生命の光をもたらしてくださいました。他者を思う礎も、他者とのつながりの未来を照らす光も、キリストによってもたらされています。復活の主こそ、私たちの力であり確かさです。