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弱い時にこそ

2021.6.27.美竹教会礼拝説教

創世記22:9-12、Ⅱコリント12:6-10

「弱い時にこそ」浅原一泰

 

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、み使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、私にささげることを惜しまなかった。」

 

仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして

行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです。

 

 

 

 

「弱い時にこそ強い」。先ほどの聖書の中でパウロはそう語っていた。なぜ彼はそう言い切ったのだろうか。確かに彼は「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂っていたこともありました」(11:24-25)とこの手紙で記している。「死ぬような目に遭ったことも度々でした」と自分の過去を振り返ってもいる。それで彼は自分の弱さを思い知らされただろうし、そのような自分を支えて下さるキリストの憐みの強さ深さを身に染みて味わっただろう。しかし本当に苦しんでいる時、人はそのことを言葉に出来るものだろうか。苦労話ができるようになるのは、少し楽になってそれをつい自分の手柄にしたくなるからかもしれない。「弱い時にこそ強い」というこの言葉が、弱さに耐えたパウロの信仰の強さと崇められ、パウロという人間の株を上げるものであるなら、聖書本来の意味ではなくなってしまうように思う。私たちは、パウロがいかに並外れた力を持つ伝道者か、ということではなくパウロにそのように実を結ばせ、花開かせる力、「私は弱い時にこそ強い」と彼に言わせた力の源が何であったのか、ということに目を開かれたいのである。

 

「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。これがパウロが初めてキリストの声を聞いた時であった。それは彼がキリスト教徒を迫害し、教会を荒らしまわっていた時であったと使徒言行録が伝えている。この声を聞く前のパウロは、「律法を守る」熱心さの上では右に出る者がいないほどのファリサイ派であったと彼自身が手紙の中で記している。ファリサイ派も今のこの世の価値観も共通しているように思うのは、これを抑えておけば間違いない、という人間自身の思いや業で神を喜ばせ、人を動かせるかのようなシステムというか価値体系を作り上げていることである。律法の肝心要の部分を守ることでそれが出来る、と信じ切っていたサウロ、呼び名が変わる前のパウロであるが、彼は自分と同じ価値観を持たず、律法を守ろうとしないキリスト教徒たちを許せず、迫害していった。しかしその時のパウロを、「これを食べるならお前は神になれるぞ」という悪魔の誘惑が動かしてはいなかっただろうか。エバに責任を擦り付けてでも自分だけが救われようとするアダムの欲望が、「律法によらない救いを説くキリスト教を認めたら自分の立場が否定されかねない」という危機感をパウロに抱かせ、キリスト教徒迫害へと動かしていった部分はなかったか。聖書によれば、間違った道へと突き進む人間の前に神は必ず現れる。あのエデンの園で、自分が神になれたかのように浮ついていたアダムに足音を響かせて神が現れたように、キリストを通して迫害者パウロに神は語り掛けた。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。

 

その神はパウロにどのように映ったであろう。パウロはこの時、まさに「弱さのどん底におられるキリスト」に出会ったのではなかったか。人々から罵られ、嘲笑われ、唾吐きかけられ、鞭打たれて体力は消耗し、最早十字架を自分の力では背負えないほどに衰弱していた弱いキリストの姿を、この時のパウロは目の当たりにしたのではなかったか。パウロよ、お前もこの私を罵り、嘲笑い続けてきた。未だ罵り続けるのか、とキリストは彼に語りかけたのではなかったか。キリストに出会う前のパウロにとって神は、律法を守る人間を義と認め、守れない者を裁く強き神であった。支配者の如き権威ある神であった。しかし、キリストとの初めての出会いによって彼が出会った神は全く違っていた。それは、弱さの極みにある独り子キリストを通してこそ語りかけられてくる神であった。正しい行いをしたと自負して胸を張る者を救うのではなく、虐げられ、迫害を受け、見下され、重荷を負わされ、弱さの極みにあって喘いでいる弱く貧しい罪人にこそ寄り添い、その弱さを自ら味わい担って憐れむ神だったのである。そのような弱き者の弱さの全てを担って下さり、これ以上ないという弱さの極みにまで自らを貶められたキリストを通して語りかけてくる神の声を聞いた時、それがパウロのキリストとの初めての出会いであったわけである。それはキリストを通して、最も惨めな者、最も弱き者をも救おう、どんな罪人をも救わずにいられようか、と働きかける神の愛の強さ深さに打ちのめされる瞬間であった。それは彼が今まで考えていたのとは全く違う、この時、生まれて初めて経験させられる神との出会いであった。

 

100歳近くになってようやく与えられた待望のひとり子イサクを捧げよ、とアブラハムに命じる神も支配者の如き権威ある神であったかもしれない。だからアブラハムは悩み苦しみながらモリヤの山まで旅をする。目的地に着いて、神の命令通りにイサクに刃物を振り下ろせばアブラハムは確かに救われるかもしれない。仕方ないではないか。神の命令なのだから。こうするしかなかったのだ。そうアブラハムが考えたのならそこにも自分可愛さに妻エバを裏切るアダムの心理が繰り返されてはいなかっただろうか。自分の行動如何で神にさえなれるというアダムの野心は燻ってはいなかっただろうか。アブラハムは確かに刃物を振り下ろそうとした。しかしその瞬間、「その子に手を下すな」との神の声がアブラハムを止めたのである。

 

 

パウロにとって、自分を思い上がらせないためのサタンからの使いであったという肉体のとげとは、何らかの彼の病だという説もあるが、また、生まれた時からの彼に染みついていた己の思いや業で神からの恩恵を引き出そうとするファリサイ派的な思考回路であり価値観であったかもしれない。それはまた、悩みながらも神の命令なら仕方ないと諦めてイサクを屠り、救われようとしたアブラハムという人間の思いであったかもしれない。それが、自分を思い上がらせないためにサタンから与えられた使いと取るならば、神の声によって一線を超えずに守られたアブラハム同様、キリストによって生き方・価値観を180度ひっくり返されたパウロ、己の思いや業によって神の救いが手に入れられるわけではなく、ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、値なき者をただひとえにキリストの贖いの血潮という神の恵みのみによって救いへと迎え入れて下さる神の愛によってのみ生かされるのだ、という福音の宣教者となったパウロの前に、それを認めたら自分を否定されるかのように思うファリサイ的律法主義的なユダヤ人たちが立ちはだかるのは当然の成り行きであった。パウロが律法によらない恵みのみによる救いを訴えれば訴えるほど、彼らユダヤ人からすれば、キリスト教へと鞍替えした裏切り者としか見えないパウロを迫害することは十分に正当化できたであろう。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂っていたこともありました」(11:24-25)というパウロの言葉は苦労を自慢したいわけでは全くなく、厳然たる事実であったのだろう。しかしパウロは、その苦しみを味わう度ごと、体に心に痛みを感じる度ごとにあのキリストの声を、我こそは正しいと過信して他者を裁く者に「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と語り掛けて立ち止まらせ、振り向かせようとする神の愛の声を強く深く、確かに、感じさせられたのではなかったかと思うのである。だからパウロはユダヤ人たちと向き合い続けた。異邦人だけではなく、ユダヤ人たちをも立ち返らせ、真の命へと生き返らせたいという福音に立ち返り続けた。それは彼がユダヤ人たちから再三再四苦しめられ、地に這いつくばるしかないほど「弱い時にこそ」、「目には目を、歯には歯を」ではない、そのようなユダヤ人をこそ立ち止まらせ、愛をもって振り向かせようとするキリストの愛、神の愛をいやと言うほど強く、深く受け止めさせられ続けてきたから、ではなかっただろうか。そうであるからこそこの手紙の中で、「誇るなら自分の弱さを誇ろう」とか、「私は弱い時にこそ強い」という常識では考えられないようなあの言葉が、主の愛によってパウロの口から生まれたのではなかっただろうか。